秦・漢時代

問題

 

秦・漢時代の中国と周辺諸地域に関する以下の設問に答えよ。

  1.秦の全国統一に関する以下の記述の下線部のうち、誤っているものを選べ。すべて正しい場合はと答えよ。
戦国の七雄の一つであった秦は、前4世紀に商鞅による政治改革を進めて国力を充実させた。秦王の政は諸国を次々に滅ぼして、前221年に全国を統一した。彼は「王」にかえて始めて「皇帝」の称号を採用し、法家の思想に基づく政策を推し進め、咸陽を都として中央集権体制を確立した。

  2.始皇帝の政策に関する以下の記述の下線部のうち、誤っているものを選べ。すべて正しい場合はと答えよ。
始皇帝は
封建制をしき、中央から派遣した官吏により地方を治めさせた、また、言論や思想の統制を強行し、医薬・占い・農業関係以外の書物を焼き(焚書)、儒者など多数を生き埋めにして殺害した(坑儒)。さらに文字・度量衡・貨幣・車軌を統一した。対外政策では、匈奴を攻めてオルドス地方を奪回し、長城を修築・強化した。

  3.秦の統一貨幣を選べ。該当するものがない場合はと答えよ。
半両銭 五銖銭 布銭 刀銭 蟻鼻銭

  4.前漢の成立に関する以下の記述の下線部のうち、誤っているものを選べ。すべて正しい場合はと答えよ。
始皇帝の死後、陳勝が呉広とともに農民を組織し放棄した。このとき陳勝が述べた「王侯将相いずくんぞ種あらんや」という言葉には、戦国時代以来の実力主義を否定する気風が表れている。その後、各地の反乱勢力の中から庶民出身の劉邦との名族出身の項羽が力を伸ばして天下を争い、勝利した劉邦が長安を都に漢王朝(前漢)を開いた。

  5.前漢の武帝に関する以下の記述の下線部のうち、誤っているものを選べ。すべて正しい場合はと答えよ。
呉楚七国の乱を鎮圧して郡国制を強化した。
郷挙里選という推薦による官吏登用制度を実施した。
塩・鉄・酒を専売とした。
均輸・平準という物価調整策を実施した。

  6.新と後漢の成立に関する以下の記述の下線部のうち、誤っているものを選べ。すべて正しい場合はと答えよ。
1世紀初め、漢王朝の
外戚の王莽は帝位を奪って新を建てた。王莽は儒教の理想である周代の政治を復活させようとしたが、現実を無視した政策は混乱をもたらした。やがて赤眉の乱などの農民反乱が起こり、新は23年に滅んだ。漢王朝の一族である劉秀は、当時勢力を強めていた豪族に支持されて、25年に漢王朝を復活させた(後漢)。

  7.後漢の終わりごろ、張角の指導の下で大規模な反乱を起こした宗教結社を選べ。該当するものがない場合はと答えよ
五斗米道 全真教 白蓮教 太平道 義和拳教

  8.朝鮮半島・日本列島に関する以下の記述の下線部のうち、誤っているものを選べ。すべて正しい場合はと答えよ。
前108年、
衛氏朝鮮は漢の武帝の遠征軍によって倒された。その後、朝鮮半島には楽浪など4郡が置かれた。4世紀初めには高句麗が楽浪郡を滅ぼし朝鮮半島北部を支配した。半島南部では馬韓・弁韓・辰韓が展開した。一方、日本列島においては、和の奴国が後漢王朝に朝貢して、光武帝から印綬を与えられた。

  9.内陸アジアに関する以下の記述の下線部のうち、誤っているものを選べ。すべて正しい場合はと答えよ。
匈奴は冒頓単于に率いられて強大化し、月氏を攻撃した。
前漢の高祖は匈奴を破って服属させ、貢ぎ物を贈らせた。
前漢の武帝は匈奴を挟撃するため、張騫を大月氏国に派遣した。
後漢の班超は西域都護となり、部下の甘英を大秦国に派遣した。

問 10.華南・ベトナム方面に関する以下の記述の下線部のうち、誤っているものを選べ。すべて正しい場合はと答えよ。
秦は華南方面に遠征して、南海郡など3郡を置いた。
前漢の武帝は南越を滅ぼし、華南・ベトナム方面に9郡を置いた。
後漢の光武帝は、ベトナムに安南都護府を置いた。
大秦王安敦の使者と称する者が日南郡に到着した。

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秦・漢

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